人生の止まり木

30歳。日々感じていることをつぶやきます。誰もが輝ける社会の実現を夢見ています。いつかは海外に住めたらいいな!

1年前のつぶやき。心に変化なし。

今日はSNSサイトfacebook

ちょうど1年前に呟いていた、私の投稿文章をみなさんにお届けします。

 

何か感じることがありましたら、

ぜひみなさんの心の内もお聞かせくださいね。

 

今日も良い日で、そろそろ仕事に行ってきます。

 

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今日は思わず、涙が出た。

世の中でいう常識、非常識って、
一体なんなんだろうと思う。

生まれてここに存在し、
たった一人のあなたと出会えたこと、

共に時間を共有できていることに
心から感謝している。

だけどそこに現れる、
しょうもない世の中の壁は、
とてもとても厚い。

あなたはあなたらしく、
あなたは生きたいように生きて。

立場も、収入差も、年齢も違くても、
あなたを心から大事に思う。

そう心で誰もが叫んでも、
必ずしも物事がスムーズに事運ぶわけではないと
今日少しだけ学んだ気がする。

私はずっと世の中の偏見など、
世の中の当たり前など、
問題ではないと思ってた。

世の中は私たちの手で変えられる。
そう思っていた。
もちろん今もそう思ってる。

でも心から大切に思うからこそ、
もう返す言葉が出てこなかった。

私たちを大事に思ってくれている、
それが伝わるからこそ、
どんなに手を取り、伝えても、

必ずしもゆるされるわけではないのだと。

どんな生き方をしていても、
どんな暮らしをしていても、
決して関係ない。
共にこの地球に生きる私たちだから。

そしていつもの私なら、
一方的に説得してた、
いや押し切っていたはず。

だけど、今日はもうこれ以上は、、

迷惑になるのだと気付いた。

大事に思うからこそ、
それ以上言えなかった。

悔しかった。

立場も、収入差も、年齢も、
全ては問題ではないのに…

それでもダメなのかな…

だけどここで諦めたくない。
何かしらの形でつながりを持ち続けたい。

社会は私たちの心と手で作ってるんだ。
絶対負けない。

私たちは共に生きてる。

あなたとのつながりをきったら、
大事なことを捨ててしまう気がする。

そんなことも梅雨知らぬだろう、
人が賑やかに行き交う街中で、
私は悲しさに包まれた。

私思い出した。
自然が好きになった理由。

それはもっとちゃんと
本質を見抜いた生き方をしたいから。

便利な暮らしをしたいわけじゃない。
誰かに認められた人になりたいわけじゃない。

誰かに寄り添って、
誰かに寄り添われて、

ちょっと泥臭いけど、
笑いと涙が合わさった暖かい暮らしをしたい、

そんな社会を作って生きたいと思ったからだ。

今日は思いがけないことだった。

私たちを気遣って、
彼のした判断は私にとっては、
釘を踏むよりも苦しいことだ。

あなたの気遣い以上に、
私がすべきことがあるのだと思う。

表現が難しいけど、
もっと感情に素直になりたい。

私は私は、誰かの力になれるかな。
苦しみ悲しむ人の力になりたい。

あー、情けない。悲しい。