人生の止まり木

30歳。日々感じていることをつぶやきます。誰もが輝ける社会の実現を夢見ています。いつかは海外に住めたらいいな!

誰もがわからない生活 -晴れた日につぶやく

 

「偏見や差別はしたくない」

 

その思いが、裏目に出てしまうことがあることを知った。

 

今から2年前、2つ下の妹が精神障害を患った。

当時の私も、家族も、少なからず衝撃を受けた。

 

それは妹がそれほどまで苦しみを抱えていたと知ったから。

 

そして、それまでの「普通の妹」と、もう会えなくなると悟ったから。

 

 

あれから2年。

 

「私だけは妹を偏見や差別の目で見ない。」

「妹はどんなことがあっても妹なのだ。」

 

その思いが自分を苦しめることとなる。

 

下手に、過度な注意を払うことで、

目の前の妹の苦しみから目を背けることとなった。

 

私が思い続けたように、どんな時も妹は妹だった。

そして、それと同じように、どんな時も私は私であったのだ。

 

守ってあげよう、支えてあげよう。

 

優しく、人一番思いやりに包まれた、まっすぐな妹。

妹も妹なりに苦しんできたのだ、私も、家族も同様に苦しんできたのだ。

 

「ありがとう」「ごめんね」

そのたった一言が言えない。それは自分も同じなのに。

 

"普通はここでこんなことを言わない。"

"状況を察する必要があるのに…”

 

そんな私と家族の”当たり前”が

妹を苦しめていたのだと悟った。

 

激しい口論の末、私の精神と体力はボロボロになった。

 

ついに、これ以上は無理かもしれない。

 

みんなが一番恐れていた破滅の道の入り口にたどり着いていたのだ。

 

 

明らかに違うのだ。目指すべきところとは反対方向に歩いてきていたのだ。

 

 

私が大好きな俳優であり、歌手の星野源さんも、

「生活が嫌い」と書いていたが、その気持ちがとてもよくわかる。

 

当たり前にやってくる生活は鬱陶しい。

 

夢見るワクワク感だけに包まれていたい。

 

だけど、その億劫にも思える生活が楽しめたらどうなのか?

 

生活も、夢も、本来は同じだけの価値を持っていると

私は信じている。

 

夢だけ、理想だけ、高尚なお話だけじゃ足りないのだ。

 

生活も、会話も、日向ぼっこも、涙も、

同じだけの形があるのだ。

 

高尚な夢も、理想高き夢も、

生活と同じなのだ。

 

私はすべてを突き抜ける。

 

そのために、病気と付き合いを始めた妹も、

そのままに受け止めることにした。

 

腫れ物を扱い、妹は障害者ではないのです。

みんな平等に参りましょう!などと、声をあげなくてよいのだ。

 

できないならば、支えよう。

できることをしていこう。

 

できないことができたら、

花マルをあげよう。

 

そんな生き方を私は進めていきたい。

 

夢も、生活も、愛する。

 

私はすべてを愛する。すべてを受け止める。

すべてをそのままに。そのままを当たり前に。

 

そんなことを思った。

 

病気を抱え、悩む妹がいるならば、そのテンポで共に歩むだけなのだ。

 

急ぐことはない。気遣いしすぎる必要はない。

 

思いをぶつけてごめんね。大切だと思うことは伝え続けるよ。

あなたの声も、あなたの思考も、今まで以上に大切にするよ。

 

かといって、甘えさせないから。

 

ともに、手を取り合い進もう。

 

生活も、夢も、ともに大切にしながら、生きていきませんか。