人生の止まり木

30歳。日々感じていることをつぶやきます。誰もが輝ける社会の実現を夢見ています。いつかは海外に住めたらいいな!

心とギリギリの生活。でも嫌じゃない。

今朝の私はとてもブルーだ。それと同じように、窓に広がる空もブルーだ。

だけど、空は私と違って、清々しく、すっきりしているように見える。

 

今朝、夫は鼻歌を歌っていながら、貧乏ゆすりをしていた。

 

理由は明らかだった。美味しい朝食があったからだ。

 

春からの私はどこか違っていた。生きているのにどこか上の空で。

今も自分の感情の谷底を這いながら、まるで死人のような気分に苛まれた。

 

そんな私には、「朝食」など気がまわらないのだ。

頑張れても、毎日の洗濯と掃除と夕食づくりだけ。

 

朝食は私にはハードルが高くなっていた。

「それぞれに食べてください。」それが私の精一杯。

 

体を起こせない私には、夫や妹弟の後ろをついて行き、

「いってらっしゃい」とできたら、十分な合格ライン。

 

できないと憂鬱になる。できない自分が苦しい。

かと思えば、そんな気持ちがグルグルすることに限界がくる。

 

私はいつもギリギリを生きていた。

誰に頼まれるでもなく、自分は常に断崖絶壁を歩いているのである。

 

私はここ最近、生きる意味を見失いかけている。

 

いつか心の赴くままに何かできるのは?

そう思う一方で、現実は厳しい。

 

かと思えば、あの人はこうだ、こうやるべきだとか。

世の中はあまりにも矛盾していることだらけで。

 

「お互いに何かできることをやろう。」

 

そう思えた時に、何かあたたかいものが芽生えて、

前にいけるんじゃないかって思うけど、

動き出したいと思う頃には、前に進む力さえ失っている。

 

私は「心」ってとても大事だと思っている。

人の「あとちょっとだけ頑張ろう」そう思える心が尊いと思う。

 

 

 

 

…あ、いつもと同じ、言いたいことがずれていく。

すみませんねぇ。。

 

昨年、妹が精神を患って、私は心のケアの必要性を感じました。

それは妹が大切だからです。そして妹が苦しんでいるように、私も私の心といつも葛藤していた。だからその大切さが身にしみてよくわかりました。

 

病気として抱えなくとも、心が崩壊する手前まで苦しんだり、頑張りすぎている人がいる。そんな人たちが溢れてしまう前に、なんとか解消できないものかと日々考えてしまうのです。

 

私は環境に関心があります。元々は自然の織りなす美しさ、尊さ、儚さなど、人間が自然に魅了されたり、生活の基盤を支えてもらうというそのスケールの大きさに気付いた時、何か触れられたら、何か関われたらそんな思いがありました。

 

環境の専門家にはなれないけれど、自然の豊かさに恩恵を受けともに生き、それに癒され、重なるように、人々が生きる力を育み、そして自分や社会の大事さに気付いて生きていけるようなそんなワクワクする場づくりをいつか始めたい。そう思っていました。

 

そのために私は今現在も悶々と悩んでいます。そして経済的な余裕が全く持ってあるわけでもないですが、ガイア都市創造塾に行くことを決断し今に至っています。

 

私の精神はガイア都市創造塾に焦点が当てられています。でもそれはとてもありがたいことです。自分は自分という魂で生きていい。そう言ってもらえる場があることは何より貴重なことで、ありがたいことだからです。

 

目先のことだけで、決めなくていい。広い世界観で捉えられる。そう思うだけで心が解放されるのです。

自分のマインドの醸成。そして思考を現実化させるための大切な時間であり、学びなのです。

 

でも現実はまだまだ自分自身も未熟で、到底学んだことをすぐに実行できるわけではありません。自分の小ささを痛感しています。

 

思考を現実化し、自分の心を解消していきたいです。

 

 

私は学生時代、家庭環境で人が人の心を蔑み、人の生きる希望を奪い去る人を見てきました。その上で、人の心やモチベーションを奪うことは、その人の生きる希望を奪い去ることと同じであると考えています。

 

人の心やモチベーションのありかは千差万別。一つとして同じものはありません。

誰かが答えを出せるものではありません。多角的にものを見れば、自分から見えているのは一部分にしかすぎないかもしれないし。要するに一概には言えないということになりますね。

 

私の母は妹が精神を患って、私が精神的に不安定になった時、

私に向かってこう言いました。

 

「あなたまで精神不安定になったら、こちらまでおかしくなる。」

 

正直、この言葉を聞いた時に、かなりショックを覚えました。

私は上記に書いた通り、家庭環境で10年耐え抜いてきたのですが、この際嫁であり一番弱い立場にあった母の理解者かつフォローに回る立場にい続けたという私の思いはくしくも崩され去った。そんな思いにさせられました。

 

それは母がそうなってほしくないと思うように、私も決して自分が心を不安定にさせたいわけではありませんでした。

 

でも母の中で、そうなってほしくない。そういう理由で、私が不安定であるという事実は闇に葬りさせられました。

 

その後、母の意見に合わせる形を取るしかなくなった私にできたのは、弱い自分を見せないという選択肢か選ぶことができませんでした。

 

どんなに布団で泣きわめいて、騒いでも、仕事が始まるまでには正常に戻し、母から電話があっても、「大丈夫だよ〜」「元気にしてるよ〜」というのです。

 

私には自分の都合の悪いところは見せられない。

そう答えが出てしまっていたのです。

 

ある意味、お人好しであれば、場面を切り抜けることができました。

しかし、お人好しはたかがお人好しです。本心を抑えているだけなのです。

 

私は本当の意味でお人好しでい続けることができないのでした。

 

私は母の気持ちもよく理解しています。

母も私と同じようにギリギリで生きています。

深夜に工場働きをする父と2人でギリギリの生活をしているのですから、本当に頭が下がります。

 

でも、人と人が関わるからには、「都合」だけでは成り立ちません。

特に大事な存在だからこそ、「心」が切れてしまっては成り立たないからです。

 

…皆さんは忘れてしまったでしょうが、

今日の朝食の話に戻しますね。

 

私は鼻歌を歌い、貧乏ゆすりをする夫を見て、

朝は起きて、朝食を作ってあげたいと思いました。

 

それは決して義務ではありません。

自分の心がそうさせています。

 

でも明らかに決めていること。「無理はしない」

しかし自分の心がやってみたい、チャレンジしたいと少しでも思っているなら、私はその思いを大切にしたいと思っています。

 

まずは、その思える気持ちを大切にしたい、そう思う朝でした。