人生の止まり木

30歳。日々感じていることをつぶやきます。誰もが輝ける社会の実現を夢見ています。いつかは海外に住めたらいいな!

失われた8年の歳月ー憎しみを愛に変える

おはようございます☀️

 

風は強いけれど、
晴れやかな空ですね。

 

 

昨夜のできごと。

 

ここ最近は自分でも驚くほどに、「追われる夢」や「とにかく忙しい夢」ばかりみていました。

 

精神的に落ち着かないのか、疲れが達しているのか、何かを知らせるような疲れを伴う夢ばかりをみていました。

 

今日、明日と、居酒屋バイトはお休みの日。心が少しだけ、休まる日です。

 

私と私の家族は幼少時代と学生時代、亡き祖父母と叔母にいじめられて育ちました。約8年の歳月を共に過ごしました。

 

私の主人出会った4年前。

私は心癒えることなく、傷だらけでした。

 

そして昨夜、久々に記憶が蘇ってきました。

 

 

家の敷地に灯油はあるのに、「一回200円」と張り紙をされて使うことが制限されたため、貧しかった私たちは、東北の寒い冬をストーブをほとんどつけずに過ごしたこと。

 

帰宅すると、私のご飯は三角コーナーに捨てられていることがよくあったこと。

 

家の中ですれ違えば、私はもちろん、嫁にあたる母や妹たちの誹謗中傷を聞かされること。

 

母を指差し、キチガイが育てたから、こんなの(私)が生まれたと言われたこと。

 

祖父が入院した時に、母が変なものを食べさせたからだ、祖父が亡くなった時は、世話をしていた母が殺したとさえ、言われたこと。

 

祖母が、焼いてあげた夕飯の皿に乗っている、肉の数を数えて、自分の肉の方が一枚少ないと言ってきたこと。

 

文句があると、チラシの裏に油性ペンで殴り書きをし、我が家族が生活する2階に張り出していたこと。

 

私の母が作ったばかりのおかず(私が帰宅し食べら予定だったおかず)に、ラップの上からクサイと油性ペンで書いていたこと。

 

などなど。

 

今ではまるで嘘みたい🤯だなというか、呆れて言葉が出ないことばかりでしたが、当時はそんな日々を365日×8年間過ごしていました。

 

精神的にすり減りました。

 

私にとっては、小学5年生から高校3年生は失われた8年間です。

 

でもいまだに、思う時があるのです。

 

憎しみを憎しみで終わってはならないと。

 

 

愛が不足したからこそ、愛で満たしたいと。

 

 

夫が昨夜言いました。

 

「僕と出会った4年前より確実に克服でき始めているよ」

 

 

私は豊かな愛を気づくことができました。

 

毎日の溢れる愛に加えて、歳月という時間をかけていきながら、私は憎しみを確かに愛と優しさに変えていきます。

 

 

長くなりましたが、皆さんも恐れず、気軽にお悩みお聞かせくださいね。

 

苦しみや悲しみは必ず優しさと強さに変わりますよ。

 

心置きなく私は泣きました。

心を軽くしていくためにも、泣きます。そして笑います。

 

今日もすべての人が幸せに満たされますように。

 

心から愛を込めて。