人生の止まり木

30歳。日々感じていることをつぶやきます。誰もが輝ける社会の実現を夢見ています。いつかは海外に住めたらいいな!

辛い夜に送る〜あなたの心の味方です。

こんばんは。いかがお過ごしですか。

 

いやぁ〜、なんでですかね。

 

我が家ではお米を土鍋で炊いていますが、

そのお米をうるかす間にさえ、ブログに書き連ねたい衝動に駆られて

今パソコンのキーボードを叩いています。

 

今日書きたいのは傷ついた記憶に対する向き合い方と、周りに惑わされず、自分の心を打ち勝たせる方法について。

 

あぁ、始まりましたよ。このまた複雑な投稿ネタ。

 

うーん、この複雑なテーマをどう進めていくのでしょうか?

自分自身が言い始めたことなのに、未知です、未知(笑)

 

まずは傷ついた記憶に対する向き合い方について。

 

まずはみなさん、傷ついた記憶、経験ってお持ちですか?

この「傷ついた」という言葉がなんだか重たいですよね。

 

傷って、いったい?心の傷?身体的な傷?

というか、傷までいくとなんか、まるで武士のような、まるでガラスの少年のような…。

 

傷ついたということは、消え去ってもう戻ってこないものではなく、今現在も自分自身に残っているもの、ということに置き換えることができるかと思います。

 

傷は適切な処置をしなければ、ばい菌が入ったり、化膿したりしますよね?

もし本人の免疫力が高くて、改善できる場合はまるで転んだ時のかさぶたのように自然の中に記憶の中から消え去って、傷があったことさえ忘れてしまうものです。

 

しかし、忘れてしまった場合はいいですが、もしこの傷を忘れることができなかった場合、その傷と向き合う必要が出てきます。

傷はキリキリと痛みますし、日常生活で大きな支障が出ないものの、しきりと自分の心を静かに蝕んでいくものです。

 

私の心の傷は、辛い経験とも言える学生時代の家庭環境や人からの何気ない(心無い)言葉で大きなものとなったように自分では感じています。しかし、目に見えない心の傷は適切な処置方法などを知ることができず、その人の人格や精神を静かに蝕んでいき、自分の心のタンクが溢れても溢れたサインを与えてくれることのないように心の麻痺をどんどん悪化させていきます。

 

私はその心の傷との向き合い方をここでは少し考えてみようと思います。

 

傷はなぜ自分の中に傷として残ったのでしょうか。

辛いですが、少し当時のことを思い出してみましょう。

もちろん辛くて思い出せない人は、焦ることはありません。

 

しかし今日のこのブログでは少しだけ進めてみることにしますね。

 

私は仙台に生まれ、父と母と妹、弟の4人家族で小学4年生まで過ごしました。

しかし、ある日突然、父親が職を失ったと同時に、父からの実家がある福島へと引っ越しを余儀なくされました。

 

その日から地獄の日々が始まりました。

ここでは詳しいことを記載し兼ねますが、親族との生活は想像を絶するものでした。

自分の中で未だにフラッシュバックを起こし、起きた出来事を振り返ると涙が出たり、憎悪が溢れたり、体調を崩すなど身体的、精神的な負荷からまだ逃げることができません。

しかし、高校時代から始めた様々な地域活動や社会活動を通して、世の中を支えようと取り組む輝かしい大人たちに出会った時、私の心は定まりました。

 

 

やはり人のために生きる人生であろう。

どんなに人生の底辺を見ようとも、人の醜い部分を見てしまったとしても、必ず幸せはやってくる。

私は先の見えぬ毎日の中に、微かな希望を忘れることなく、学生時代を耐え抜いてきました。

 

そして恨み、そして苦しみに包まれた自分の心を救ったのは、良心でした。

 

きれいごとを言うな!

 

お前は間違っている!

 

お前なんぞ、人様に迷惑をかけているだけだ!

 

何を偉そうに言う!

 

これは当時、ずっと言われ続けてきたことです。

 

やがては自分の祖母が、私の母親を指差し、

 

お前(私の母)が産み育てたから、こんなやつ(私)が生まれたのだ

 

と、言われることもありました。

 

表現ができないほど傷つきましたが、

それでも私は自分を嫌うことはできませんでした。

 

愛する家族を嫌うことはできませんでした。

 

それは私の両親や妹弟は良心に従い、人のために働く人であったからです。

 

今思えば、精神的に病んでいたのかもしれません。

 

私たちを痛めつけた祖母が亡くなる時は、憎しみのあまり、

お葬式で顔をみることすらできませんでした。

 

しかし、父方の親族にその気持ちを理解してもらうことはできなかったと思います。

 

私は亡くなった祖母と年が近い詩吟の恩師(この方もすでに亡くなりました)を心から尊敬していました。

 

その先生は87歳でこの世を去りましたが、それだけの高齢でも、早すぎる死だと言われて亡くなりました。

 

そうです、人生とは人の心、人柄、行いによって量られるのです。

 

私の祖母は経済的には裕福でした。子供たちを差し置いて、とにかく稼ぎに走った人です。でも今思えば、それは子供を育てるためにしょうがなかったのでしょう。

 

そうです。負の記憶を断ち切り、負の連鎖を断ち切る必要があります。

 

何度も何度も負の記憶は顔を覗かせます。

 

昔の私はその負の記憶に対して、見て見ぬ振りをして、空元気を続けてきました。

しかし心の中の私が叫ぶのです。

 

 

つらいよぉ〜 つらいよぉ〜 と。

 

そうです。その辛い記憶を止めることはありません。

 

泣きたい時は泣いていいんです。

 

辛い時は辛いと言っていい、

 

もう仕事に行けない時は仕事に行かない選択をしてみる。

 

もう家事ができない時は今日だけは休んでみる。

 

自分を潰してしまっては元も子もないから。

 

本来のあるべき自分の状態からかけ離れてしまっているのです。

 

長くなりましたが、傷ついた記憶に対しての向き合いですが、

 

まずはそのまま、その記憶を受け止めてください。

 

そして感情が溢れたら、一度感情の溢れるままになってください。

 

そして一度休んでみたり、人に話してみたりしてください。

 

あなたは真面目なのです。頑張ったのです。良くしようという向上心を持った強い人なのです。

 

認めてあげてください。慰めてください。

 

そしてこの流れのままにいきます。

 

周りに惑わされず、自分の心を打ち勝たせる方ですが…

 

自分の時間を取り、自分の魅力にしっかりと築いてください。

 

社会はまだまだ未熟なのです。

あなたにはあなたの使命があって、あなたのその感受性豊かな心が世の中を変えるかもしれないのです。

 

そう、あなたは頑張って、一生懸命になって、つぶれそうになっていただけ。

 

あなたにはあなたらしく生きる権利があります。

自分の可能性、心を信じてあげてください。

 

長くなりましたが、

 

そんなの無理だ!という人がいってやりましょう。

 

やったことあるんですか?って。

 

人を否定する人は、自分に自信がないから言うのです。

人を否定する人は、それほどの人です。

人を否定する人は、本当の意味で痛みを知らない人です。

 

あなたにはあなた自身を肯定する人でいてほしい。

そんなあなただからこそ、社会を変える力を秘めています。

 

私なんて…そんなこと思わないでください。

 

あるものを淡々とこなすより、

自分たちでキラキラ輝く社会を作る方がよっぽど楽しいですよ。

 

どんな時もあなたの味方です。

一緒に力強く歩みましょう。

 

相変わらず、話が二転三転しますが、許してくださいね(笑)

 

今夜もあなたに心から愛を込めて。