自分を大切にする ー抜け目のない人ー
自分を大切にしたほうがいいよ。
最近、人によく言われる言葉。
正直、全く自分の中で響いていませんでした。
いや、全くは少し大げさかな?
…実は、あんまりピンときていませんでした。
何をしてもついてくる、自分の心のザワザワ。
それに対して良い評価をしたり、悪い評価を繰り返してきた人生。
でもやっぱり、それはわたしの特性であり、長所であり、短所なのです。
でも、今日、自宅で食器洗いをしながら、
いつもどおり、自分の心と対峙していた時、少しわかった気がしました。
わたしはきっと「抜け目のない人」になりたかったのだ、と。
それはほとんど抜け目がない人です。わたしは完璧ですと言いたいのではなく、
争いを避けるからこそ、抜け目のない人になりたかったのです。
自分の描く、理想的な自分を手に入れれば、人からの追及、指摘に苦しむことはなくなる。
ずっとそう思っていたのです。
でも、それはちょっと違うかもしれない、そんな風に思い始めました。
抜け目ない人を目指して、人からの評価にビクビクし、抜け目ない人になるために、人が何かを言う前に、相手からの理解、いや納得を得るための説明に意識を傾ける。
…それによって、わたしは自分の首を絞めるように、自分を苦しめ続けてきたのです。
感情的な自分。情に流されやすい自分。感受性豊かな自分。
そんなわたしだからこそ、少し回りと自分を切り離してみる。
「あ、ちょっとここで一休みをしよう」
そう自分の様子に心を傾けながら、人生を楽しくしていく。
それでいいんだと思います。
感情的になるからこそ、感情が高ぶったり、嬉しさに包まれるような選択をしたり、周りにどう見られるか、「抜け目のない自分」を作っていくよりはよっぽど楽しいし、気が楽なのだ。
自分を大切にして、愛することは自分をも豊かにし、心を楽にし、やがては周りの人たちの笑顔も引き出していくのだと。
わたしは抜け目のある人でいい。それでいい!
今日も今日を楽しもう。
感謝に包まれる日を過ごそう。
好きなものに満たされ、好きなものに囲まれる生き方を選ぼう。
大丈夫。
今日もみんなを心から愛しているよ。
今日という日に、わたしに愛を注いでくれるみんなに、そして大切な気づきに、心から感謝。
ありがとう。