人生の止まり木

30歳。日々感じていることをつぶやきます。誰もが輝ける社会の実現を夢見ています。いつかは海外に住めたらいいな!

自分を大切にする ー抜け目のない人ー

 

自分を大切にしたほうがいいよ。

 

最近、人によく言われる言葉。

 

正直、全く自分の中で響いていませんでした。

いや、全くは少し大げさかな?

 

…実は、あんまりピンときていませんでした。

 

何をしてもついてくる、自分の心のザワザワ。

 

それに対して良い評価をしたり、悪い評価を繰り返してきた人生。

 

でもやっぱり、それはわたしの特性であり、長所であり、短所なのです。

 

でも、今日、自宅で食器洗いをしながら、

いつもどおり、自分の心と対峙していた時、少しわかった気がしました。

 

わたしはきっと「抜け目のない人」になりたかったのだ、と。

 

それはほとんど抜け目がない人です。わたしは完璧ですと言いたいのではなく、

 

争いを避けるからこそ、抜け目のない人になりたかったのです。

 

自分の描く、理想的な自分を手に入れれば、人からの追及、指摘に苦しむことはなくなる。

 

ずっとそう思っていたのです。

 

でも、それはちょっと違うかもしれない、そんな風に思い始めました。

抜け目ない人を目指して、人からの評価にビクビクし、抜け目ない人になるために、人が何かを言う前に、相手からの理解、いや納得を得るための説明に意識を傾ける。

 

…それによって、わたしは自分の首を絞めるように、自分を苦しめ続けてきたのです。

 

感情的な自分。情に流されやすい自分。感受性豊かな自分。

 

そんなわたしだからこそ、少し回りと自分を切り離してみる。

 

「あ、ちょっとここで一休みをしよう」

 

そう自分の様子に心を傾けながら、人生を楽しくしていく。

 

それでいいんだと思います。

 

感情的になるからこそ、感情が高ぶったり、嬉しさに包まれるような選択をしたり、周りにどう見られるか、「抜け目のない自分」を作っていくよりはよっぽど楽しいし、気が楽なのだ。

 

自分を大切にして、愛することは自分をも豊かにし、心を楽にし、やがては周りの人たちの笑顔も引き出していくのだと。

 

わたしは抜け目のある人でいい。それでいい!

 

今日も今日を楽しもう。

感謝に包まれる日を過ごそう。

好きなものに満たされ、好きなものに囲まれる生き方を選ぼう。

 

大丈夫。

今日もみんなを心から愛しているよ。

 

今日という日に、わたしに愛を注いでくれるみんなに、そして大切な気づきに、心から感謝。

 

ありがとう。