人生の止まり木

30歳。日々感じていることをつぶやきます。誰もが輝ける社会の実現を夢見ています。いつかは海外に住めたらいいな!

私の心ーそれでいいのだ。

今行きたいのは、花粉症に苦しめられているため「耳鼻科」と心のぐちゃぐちゃに一年前から苦しめられているため「心療内科」。

そしてそれと同じように、心踊るワクワクすることや美しい景色に見とれたいとも思うのです。


ここ最近強まっている思いとして、周りからどう見られるとかが、本当にどうでもよくなっていて、日に日にFacebookを書くことも、見ることも、鬱陶しくなってきました。調子がいい時は好きなものに「いいね!」を押し、コメントをする。

大切な人が表現するものに同様に意思表示をする。しかし、気づけば、これはいいね!と言えるのか?とか、気にしないはずだったいいねの数が気になったり、やがては書く言葉も浮かばなくなって、感情を整理して訴えることすら億劫になりました。

 

意識すべきはどう見られるか、どういう状態か?ではなく、今この瞬間、私は何を思うのか?にあるのだと思いました。

 

 

私がどうしたいか?どう思うか?なのです。

 

はっきり言って、私はこんなにも意思をしっかりと伝えることができるのにもかかわらず、人に頼まれごとをされたり、一方的に意見を言われると、言われるがまま何も言えなくなります。

少し時間が経って、言えなかった自分やその時言われた内容やその時感じた感情が返ってきて、そのことしか考えられなくなるのです。

 

私は自分が評価する以上に、きっと、いやたしかに、素晴らしい感性を持っているのです。

 

自分自身こそが自分を認めていない。評価出来ていない。愛せていないのだと思います。

 

どんな私であっても、どんな時も私は私で、どんな人生の選択も選ぶことができる。

 

私はどんな時も胸を張っていて良いのだから、本来の意識とは違うところで、必要に悩むことはないのです。

 

私は悪しき自らの習慣を捨てなければなりません。力強く心のうちを届け、一歩一歩を重ねて行くのです。

 

いつだって人生は輝き始める。

苦しんでも、苦しんでも、それが人生だから。

 

自らが明るい未来を切り開いて行くのです。