人生の止まり木

30歳。日々感じていることをつぶやきます。誰もが輝ける社会の実現を夢見ています。いつかは海外に住めたらいいな!

自分の胸に、静かに手を当ててみる

みなさん、今宵はいかがお過ごしですか。

 

ここ最近は、星空がぐっと綺麗に見えるようになりましたね。

そんなことを思える自分がまだここにいることを嬉しく思います。

 

でも一方で、こんな体に染み渡るような寒さの中、生死を分けるような暮らしを送る人々が、この同じ大地にいることを思うと、胸が痛みます。

 

今日もなんとか生き延びてほしい。

 

そして、何もできない私にも、何かできることを探し続けたい、そんな思いに駆られます。

 

 

ここ数日、いや…春先からの私は感情、特に悲しみと苦しみの感情のタンクがすぐ満タンになってしまうことが多くありました。

 

タンクから溢れた水をなんとかせき止めようと、大きく手を広げても、流れていく悲しみと苦しみに唖然とし、ただ立ちすくみ、ただただ呆気にとられ、何に悲しいのかもわからなくなるほどに、ただただ泣き続けていました。

 

やがては、帰宅途中に、息をすることすら苦しくなって、泣きながら、仙台市の地下鉄のホームで一人泣きました。

 

"私は一人なのだ"

 

 

"私は一人なのだ”

 

 

一人なのだ…

 

 

数十分が経ち、心が落ち着くと、乾ききった顔を拭い、駐輪場に向かいました。

 

 

そして気づくと当たり前のように次の日がやってきます。

 

 

周りからどんなに、

 

"考えすぎだ”

 

"いいから切り替えろ"

 

 

 

そんな言葉を言われても、頭ではわかっているつもりでも、心は明らかに疲れていました。悲しみと苦しみに覆われていました。

 

 

でも不思議なことに、漠然とした"いつか幸せになれるのではないか?"という、まるで神の声にも似た、なんとなくの確信だけが自分を生き延びらせているのです。

 

私と、

そして…私を作り出す何かは、しっかりとそれに気づいていたのでした。

 

 

でも無情にも、時間は経ち、人やモノは流れていきます。

 

 

 

"別に全てをわかってほしいわけではない"

 

 

"単にわがままを言いたいわけでもない"

 

 

"でもなぜか、とにかくこの世は生きづらい!…なぜ、なぜ、なぜなのだ!!???"

 

 

その答え?…ヒント?に、今日は気づいてしまったのです。

 

 

今日の午前中は、仙台市青葉区大町にあるオーガニックのお店「坐カフェ」で行われた、デンマーク・スェーデン視察報告会へ。

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yaplog.jp

北欧は幸福度が高いと言われ、日本でも関心が高まってきています。

 

今回は、実際にデンマーク・スェーデンを訪れた伊藤さんが解説をされました。

 

どのお話も大変興味深い話ばかりで、思わず聞き入ってしまいました。

 

私は10月からガイア都市創造塾という塾に通っていて、まさにデンマークのロラン島については伺っていたこともあって、まさにフィーリング!!という感じでした。

 

なんで、生きづらかったんだろう?

 

私って何を大事にしたいんだろう?

 

子供たちに託せる未来は作れているのかな?

 

そんなことを思いながらお話を伺いました。

 

終わった後には、感情が溢れ、思わず、なみだ…。

 

みなさんにも印象的だったのは、

 

居心地の良さ、自由、対話、持続可能性

 

といったキーワードです。

 

詳しい話はいつか機会があれば、直接聞いていただければと思いますが、

私として思ったのは、

 

自分と相手が互いを理解し、信頼できるか? ということ。

 

それはお互いのことをよく理解し、自分も自分として感じたままに生きる。

 

そうすれば、良い関係を構築し、ともに未来を切り開くことができる。

 

そんな風に、お話の中から感じました。

 

報告会後は大切な友人であり、人生の先輩である女性のもとへ。

 

 

彼女とは大学生の時に、地域づくりの現場で出会いました。

 

彼女と会おうと声をかけたのは、私でした。

 

なぜ彼女と会おうと思ったのか?

 

それは私の弟からの言葉がきっかけでした。

 

 

「姉ちゃんは8割がた決めているのに、2割に悩んでいるよ」

 

 

そう先日書いたブログで記事に書いた件です。

 

そう、私の中で、彼女に聞いてほしいのだ、という結論が出ていたのです。

 

 

彼女は決して結論を急ぎません。

性格的にも温厚で、誰に対しても等しく、癒しに包まれた人です。

 

そう、私が居心地が良いと感じるタイプの一人です。

 

 

私はわかっていました。

 

人生に答えはない。

 

なのに、ここまで生きてきた私は否応なく、社会的呪縛、家庭的呪縛、そして自分が自分に課する呪縛に囚われている。

 

 

自分が自分に対して甘えても、

 

 

自分が自分に対して厳しくても、

 

 

決して呪縛から解放されることはありませんでした。

 

 

 

答えは簡単だったのです。

 

 

そう、居心地の良い人、そして居心地の良い環境だった。

 

 

 

私の居心地の良さは、

 

 

 

表現しようのない安心感。

 

 

そして表現しにくい、なんとも言えない温かみ。

 

 

人として生まれたからには人情といった温かみや、

ともに生きる喜びをかみ締められる瞬間を増やしていきたい。

 

 

そう思うと、あまりにこの世のスピードは速く、大事なことを落としている。

 

そう感じてしまったのです。

 

 

だからこそ、今日あった友人の一人との時間は大切な時間でした。

 

ここ最近は、居心地の良い方とお会いする機会が増えていて、本当に嬉しい限りです。

 

 

自分がホッとする時、

 

感情が溢れて涙する時、

 

人の痛みを知って、心配で心配で心がドキマギする時、

 

精神が不安定になり、気持ち悪くなって、動悸が起きる時、

 

全ては自分と誰かと、そして社会を思う瞬間であって、場面を間違えると鬱陶しがられる私の考え。

 

でも今日、友人と話して思ったのは、

 

決して、私が感じていることが間違っているわけではないということ。

 

そして明らかに求められていることなのだと。

 

 

言葉にしづらいこと。

 

 

社会になかなか場がないこと。

 

 

それって目に見えるものより大切で。

 

目に見えないものは見過ごしてしまったり、なんとなく成立するけれど、

 

目に見えないもので私たちは心をつないでいる。

 

 

目に見えないもので、心を豊かにしている。

 

 

目に見えないものを育むために、目に見える社会を変えていくんだ。

 

そんなことを思った今日。

 

 

改めていろんなことに感謝して。

 

 

いろんな不安や悲しみをも、超えていきたい。

 

 

そういって、この記事を書き終えると、不安に苛まれて、吐き気すらもよおす自分がいるのだけれど、その瞬間にも誰かも同じことを思っていて。

 

全てが尊いと思う。

 

 

誰かが誰かを思うことはとても尊いと思う。

 

 

 

 

愛おしくて、尊い、目に見えないものを思う時。

 

 

私はいつかこれらを形になるものに変えたい。

 

 

そんな思いが自分を熱くする。

 

 

そんな思いに駆られる私の思いは日常生活に溶けて、気付かない人には届かないが、

 

 

届く人だけでもいいから、

 

 

そっと届けながら、

 

 

私は着実に、目に見えぬものを形にしていきたい。

 

 

この文章を読んだあなた、

 

 

そして私と面と向かって語り合うみなさんなら気付いてもらえるはず。

 

あなたも私も、本当に多くの希望と可能性に満ちている。

 

 

表面的な事実も、心の移り変わりも、やがては気にならなくなっていくだろう。

 

清く、正しく、私たちは進んでいって、大切なものがきっと残る。

 

 

自分が自分を一番よく知っている。

 

自分の胸に静かに手を当ててみて。

 

 

今日プレゼンを話してくれた伊藤さんも、

大切な友人のTさんも言った。

 

 

無理しないで

 

 

大丈夫だから

 

 

それはその場をやり過ごすための言葉じゃない。

 

 

心からのエールなのだ。

 

私は自分の胸に、静かに手を当ててみる。

 

 

手がふわっとあたたかくなった。

 

ちょっとここ数日は、いろいろ自分の考えに思いを巡らせて、ゆっくりまったり過ごしてみようと思う。

 

 

 

今日も心からあなたに愛を込めて。