心の充足感
私は聖人になりたいわけでも、神様になりたいわけでも、偉い人になりたいわけでも、目立ちたいわけでもない。
ただただ溢れる愛によって、人に思いやりを持って接することのできる人でありたい。
それはみんなで幸せにあるために、時間を使える人生を送りたいから。
それは義務感とかでも、勝手な責任感でもなく、人の笑顔が私の心の充足感を高めるから。
突然ですが、「死を選ぶ」という選択を悪いとは思っていません。しかしこの表現には語弊があります。
というのも、毎年2万人を超える人々が死を選んでいるわけですが、死を選ぶにあたって、多くは「死を選ばされた」わけです。そう社会的にです。
生きていると、自分が最も大切で他人は後。右向け右で生きている私たちは、大切な周りの隣人の様子に気づかないのです。
自分が良いから、相手も良いとは限りません。
ちょっとした声がけや心持ちで、日々は成り立っていて、「苦しい…」「嬉しい」そんな一つ一つの心うちや感情に目を向ける人がもう少し増えて、弱い部分もしっかりだしあえて、フォローしあえる社会を作れたならば、多くの問題は片付くはずです。
死を選ぶ人がこんなに生まれることもない。今日もどんなに辛く悲しくても、誰かと関わりを持ち、心を温め合うことで、生き延びる人たちがたくさんいる。
そんなことを思えば思うほど、今日出会う人にも、明日を生きる人にも、等しく温かく接したいと思います。
お互いの心の充足感のために。
もう少し命を全うしたい、そう心から思える人を増やすために。
ちょっとしたことで気持ちが落ちてしまう私はよく思うのです。
その落ちる気持ちは何によって見出されているのか。
私は冷静に向き合うことの大切さを感じています。
愛によって生きながらえて、そして心から人生を楽しめる人が増えていきますように。
今日も良い日で。